音速きなこおはぎ

技術ブログです。

ソシャゲ運営を8年やって感じた、良いところと悪いところ

ポエムです。筆者はプランナーおよびプログラマーとして、いわゆるソシャゲの運営を8年ほど務めてきました。過去を振り返って、ぶっちゃけ話をつらつらと書いていきます。

現実はこんなに若くないけど

TL; DR

  • 「運営」の良いところは何よりも「失敗できること」。ゲームづくりは試行回数が命。
  • 一方、「ソシャゲ」に目を向けると、今後はゆるく滅びていくしかないだろうなあと思ってしまう。法外な課金体系についても思うところがないといえば嘘になる。
  • AI の出現やらでビジネスモデルもクリエイティブも大きく変化が予想される中で、今までの成功論からは離れて、もっと危機感を抱いて次の時代を作らなければ生き残れないだろう。

おことわり

内容はすべて筆者の個人的意見であり、責任はすべて筆者に帰属し、所属する組織団体の意向とは一切関係がありません。

それと、一部経営層への批判と捉えられる文章があるかもしれませんが、それらは全部嘘です。

追記)あとこの記事はすべて自分の主観に基づいており、すべてのソシャゲ運営に共通するものではなく、当然現場によって異なることをおことわりしておきます。

自分語り

イメージしやすいように具体的なエピソードから語っていきます。

略歴

8年前、某IPタイトルにアルバイト契約のプランナーとして入社し、その後、プログラマーに転向。現在の会社に就職し、いまが5年目です。

前職で1タイトル+弊社で計3タイトルの計4タイトルを渡り歩きました。弊社で担当したのはいずれもサービス期間10年超えの長寿タイトルです。

運営に携わったゲームの特徴

いずれも数人から十数人の小規模チームで細々と運営しています。

10年以上運営しているタイトルとあって、「まだ生きてたの!?」とよく驚かれます。はい生きてます。

基本的にユーザーはリリース当初から遊んでいる人ばかりです。10年ということは、当時20, 30代でも今は……察してください。そういう人が今でもタイトルごとに数千から数万人います。

この層のユーザーさんは Twitter などのインターネット上では可視化されづらいものです。だから「なんで(自分の遊んでいる新し目のゲーム)は終了してこいつは生きてるんだ?」と不思議がられるのでしょう。すみません、生きてます。

新しめのゲームと比較して見た目もゲーム性も劣りがちですが、ゲームが面白いでもガチャ中毒になってるでもなく、何より「そこで出会った仲間がいるから」継続している方が多いです。つまり、生活の一部であり、替えのきかない居場所なんです。

大切な居場所であるからこそ、文句をいいつつも続けるし、そう簡単にサービス終了されては困ると思うわけです。は○ブとかツイ○ターの現状と同じです。

要するに「太い客の居場所の役割があるのでそう簡単には終われない」、それが長寿ソシャゲです。

ちなみに新規顧客はほぼいません。これはあなた方の直感と一致するでしょう。理由は、新規を取りに行くための労力が、既存の客へのサービスを蔑ろにするリスクと見合わないためです。結局、居場所を守るのが第一なのです。

運営って何やってんの

デザイナー、プランナー、プログラマーでやることがそれぞれ異なりますが、一番理解しやすいのはアート領域でしょう。ガチャで出すための新しいキャラを描いたりします。

他に、UIをデザインするデザイナーさんもいます。わかりやすく、心地よいゲームを作るのに非常に大事な役目なのですが、アートと比べて日の目を浴びることが少ないのが難点です。しかも、悪いUIはめっちゃ文句言われるのに、良いUIは何も言われないという減点式。

みーんなイラスト描きたがるのでただでさえ成り手が少ないのに、大変な役回りです。でも、優秀なUIデザイナーさんと仕事すると本当に捗るので、とても助かっています。

「好きなUIは?」と聞かれて「ペルソナのやつ!」と答えるとにわか扱いされるので注意しましょう。詳しく知りたい方は、こちらの歌衣メイカさんの動画をどうぞ。

www.youtube.com

プログラマーの仕事は少しわかりづらいですね。

ユーザーに見える部分では、納期の短い順に、細かなバグフィックス、UX改修、既存形式のイベントやガチャに対する拡張、新規の遊び/イベントの実装、となるでしょうか。もちろん障害が起きたら真っ先に深夜に叩き起こされます。つらい。

一方で、ユーザーに見えない部分の仕事として、一般的な Web サービスと同じようなサーバーの安定稼働のための改修もやりますし、ゲーム特有のものとしてプランナーやアートのデータ作成/納品業務の効率化なども大事な仕事としてあります。

エンジニアで完結しない効率化の仕事は、プランナー経験やアートへの興味が活きて、個人的には非常にやり甲斐を感じます。画像一括減色ツールを実装し、キャラ画質向上・ツール費用削減・工数削減を同時に達成した話なんかは一晩中語れますよ。

一番難しいのはプランナーですね。ぶっちゃけ「その他」です。

ユーザーに見える部分では、バトルのデータやキャラの調整はもちろん仕事としてありますが、他にも細かい業務がたくさんあります。外注資料作成、版元監修対応、事業計画策定、などなど、などなど……。

新規の遊びを作るための企画資料作成、プレゼン、プロトタイプ作成(会社によってはデザイナーがやるかも)、仕様作成、タスク管理(会社によってはPM)、といったものも含まれます。

要するに、みなさんに遊びを提供するために、みんなが大変です。

お金周りの話

さすがにこの辺はぼかしますが、終わらないということは儲けてるということです。逆に言うと、あなたが「なぜ終わったんだ」と感じるそのゲームは、儲けてないから終わったのです。

ブラウザゲームだと、Ga○e-i にも計上されないし余計可視化されないですね。つか、アプリゲームでも G○me-i なんか参考にしちゃダメですけど。

新しいタイトルと比べて運用コストが低いのは間違いなくプラスに働いています。ショバ代やら税金やらで引かれる売上を100万積むより、コストを100万削減する方が、誇張抜きで数倍効果が大きいです。この点でも、Game-○ の売上なんか見ても何も経営判断の参考にならないのがわかりますね。

Gam○-i そのものに罪はなく、誤った解釈に持ち込む方々の方が問題なのですが。

逆に言うと、新規顧客がほぼいない中で、既存顧客に対していかに売上を維持するかと、同じ売上でも利益をなるべく出すためにコスト削減をするという圧力は非常に強いです。しかも遊びとは直接的に関係ないところなので、しんどい部分に数えられるでしょう。利益を出すことがタイトルの寿命を延ばし、ひいてはユーザーの喜びにつながっているんだと信じられるかどうかが鍵になってきます。

自分のスタンス

お金の話が先になってしまいましたが、自分自身は「面白くなければ死あるのみ」「わざわざ遊んでくれるユーザーにつまらないものを出すのは恥」「ユーザーが運営をそのくらい厳しく見ているのは当然」というくらいの過激派です。でした。

しかし、運営を長くやるにつれ、先の居場所の話だったり、じゃあ居場所を保ち続けるにはどのような売り方をしなきゃないとかいろいろと考え、だんだん丸くなってしまいましたね。それでも、自分が遊びを作るときは「自分が頑張ればタダでより面白いものができる」の精神でド深夜までバランス調整したりもしました。今となってはいい思い出。(書いてから気づきましたがこれ残業代が出るのでタダじゃないですね、すみません)

申し遅れましたが、私はプログラマーでありながら、プランナーっぽいこともかなりやってきました。月間イベント的なものを企画からリリースまで担当したことさえありました。自分の担当ではないときも、プランナーに対してかなり食ってかかっていました。これも面白くないものを出したくないという意識の延長線上です。

ソシャゲ業界について

個人的な話から少し広げて、次は業界についてのぶっちゃけ話です。といっても公に公表されてる情報に基づいたものですが。

まず全体の傾向として、ソシャゲ業界は既に超レッドオーシャンです。(資料: 【最新版】業界人は知っておきたい日本国内のスマホゲーム市場規模と推移(2011〜2022)

数年と数十億円をかけて開発したタイトルが鳴かず飛ばずで数ヶ月でサービス終了の憂き目に遭うことはもはや珍しいことではありません。

某娘のように当たる時はデカく当たるのですが、それによって市場が広がっているわけではありません。既存顧客の食い合いになっています。そうして市場は淘汰が進んで、新規で当たるゲームを出せるのは、某娘の開発元や、中華資本や、コンシューマー系企業といった元々体力がある企業に限られてきていますし、その中でさえ、当たらないときは当たらない厳しい状況です。

もはやガチャゲーは打ち出の小槌ではないのです。いや、「もはや」どころか、運営に携わり始めた8年前ですら感じていたことですが。

どうしてこうなった

こんな厳しい状況になった原因を読み解くのは案外難しいものです。オカルト的に言えば「ガチャなんていう阿漕な商売をやったツケが回ってきたんだよ!」となるでしょうし自分も一定そう思ってる部分はあるのですが、理屈としては弱い。

よりもっともらしいのは「開発費の高騰はゲーム業界の宿命である」というものです。

みなさんもご存知の通り、スマートフォンの性能は10年前から遥かに進化しました。それに合わせてゲームもリッチになり、作るのもどんどん大変になってきます。原○とかすごいですよね。しかもユーザーの目も肥えて、少しでも手を抜くと歯牙にも掛けてくれません。こうなるとゲーム会社が撃てる弾の数はどんどん少なくなっていきます。

でもこの現象、今のコンシューマー業界でも似たようなことが起きていると思いませんか? いわゆる「AAAタイトル」と呼ばれるものです。リアルと見紛うほどの美麗なグラフィック、オープンワールドは当たり前、そんな状況でAAAスタジオの一作あたりの開発費は高騰する一方です。

ユーザーとしてはゲームが進化してくれるのは嬉しいことですが、開発費が高騰し、ゲームを出せる本数が減るということは、新しいゲームの可能性が閉ざされていくということです。これは非常に問題です。

しかしそこでどうしても「守り」に入ってしまう。既存のソシャゲを遊んでくれる人をターゲットにして、既存のゲームと似たゲームを出したほうが、収益は読めるので事業的には優れています。しかも少しお金を多めにかければ、競合他社を蹴落とすことはたやすいでしょう。……本当にそうでしょうか?

限界はまもなくやってきます。どこかでリセットが入るのでしょう。

「ライバルは YouTube

他にも存在する問題として、開発費以外の広告費も実は爆発的に増加しています。これはまた別の理由を考えねばならず、推察するに「娯楽が溢れ、可処分時間の取り合いがどんどん激しくなっている」ことが原因だと考えています。

今や無料でゲームが遊べるのは当たり前。その無料ゲームを一度手に取ってもらうことすら難しいほどに、時間というのは貴重な財産となりつつあります。いわゆる、「タイパ」ですね。

激しい可処分時間の取り合いはゲームだけにとどまらず、YouTube, TikTok, その他SNS, 等々あらゆる娯楽が巻き込まれています。そうした熾烈な奪い合いを制するために、莫大な広告費の殴り合いが繰り広げられています。これも、ソシャゲの開発費を押し上げる要因の一つです。

結局、面白いことが重要

またオカルト話をしていいなら、「ソシャゲ業界は金儲けに走りすぎて、ユーザーからの信頼を勝ち取ることを怠った」という指摘ができるかと思います。

ぶっちゃけ我々が運営してるタイトルも、今は安定し穏やかな気持ちで、いかに面白いものを届けるかを考えていますが、リリース当初は今よりはるかに過激に売上第一!といった雰囲気だったと聞きます。ひとたびそのような印象をユーザーに植え付ければ、信頼を取り返すのはほぼ不可能です。さりとてマネタイズの方式を今から変えるわけにもいかず(そうしたらサ終まっしぐら)、もやもやを抱えて仕事しているのは、否定できません。

その割には、世間の「ガチャ」というものの拒否感が時代を追うごとに薄くなっているのは不思議な話ですが…。

また、私はインディーゲームの界隈もよくウォッチしているのですが、特に海外を中心に、もはや広告はユーザーの心に響かず、ただ Steam の評価が重要であるという風潮になっている、らしいです。一部のゲーマーだけかもしれないですが。

そうなってほしいという願望混じりですが、開発費/広告費競争ではなく、いかに面白いか、いかに新しいか、いかに信頼を勝ち取り市場を広げるか、という方向にどこかで風向きが変わってくれる、のではないかと思っています。

結局、面白いことが重要。そうであってほしい。

ソシャゲ業界はレッドオーシャン

その他

その他なんか思いついたところを適当に書いていきます。

サ終したあとオフライン版作ってくれないの?

オフライン版を作らない理由はいくつか思い当たります。

あなたのデータがオフラインにあると思ってるの?

まず、あなたのデータの大半はサーバーに保存されています。何万人というユーザーについて一人ひとり、あなたのデータをオフラインに保存させるのは非常に困難です。間違って他人のデータを落とせてしまったら大事件です。法に触れる可能性すらあるかもしれません。

プログラムの作りも、サーバーではなくクライアントだけで取得が完結するように作らねばならず、大工事が必要になります。既に「儲けていない」ゲームにそんな体力があるはずもありません。プログラマもタダじゃないので。

一方で、手抜きしていいならあなたのデータを一切閲覧できない状態のアプリを配布することも考えられます。「図鑑」だけが手元にあるような状態ですね。これも一つの「オフライン版」ですが、どうでしょう?

(終了後、スムーズにオフライン版になるようにリリース前からプログラマーが工夫していれば別かもしれません。もしそのようなゲームがあれば全力で讃えてください。)

権利問題

キャラの画像やモデルのデータが、運営だけが権利を持っているとは限りません。様々なステークホルダーが絡んでおり、確認するのは大変です。特に、何年も前のアセットだと、外注先が既に解散している、なんてこともあるかもしれません。そうしたらお手上げです。

やる気と需要問題

でも結局はやる気と需要に行き着くと思います。プロデューサーがめっちゃやる気があれば、儲けにならなくてもオフライン版を出すでしょう。しかし、プロデューサーよりさらに上の経営陣の判断との兼ね合いもあって、そうする意思決定は非常に稀です。

それに、声の大きいユーザーばかりがオフライン版を望んでおり、大半はさほど必要としてないかもしれません。難しい話ですが。

オフライン版以外の形

しかし、最近では、こういった問題を避けつつ、アートブックや資料集を終了後に出すという形が散見されますね。これは非常に賢いやり方だと思います。運営もプログラムの大改修という異常な工数をかけることなく、資料をまとめるだけでいい。ぶっちゃけめちゃくちゃ「コスパがいい」。

結局顧客が本当に必要だったものは「形が残ること」だったんだろうと思います。ユーザーは形に残せて嬉しく、運営は簡単に売上が出せて嬉しい、win-win の関係になるので非常に望ましいことです。

しかし、先に述べた権利問題や、後述する販売元との関係などにより、資料やグッズすら出したくても出せなかったりするので、やっぱり難しいのですが…。

運営のことをいたわってほしい

「運営」が蔑称として使われるのは同業者として心苦しいものがあります。

ソシャゲ黎明期ならいざ知らず、今のソシャゲの運営というのは、現実と理想の板挟みになりながらも、ユーザーに楽しく遊んでもらうことを考えて仕事しているはずです。

コンビニや居酒屋の店員のことを考えてください。多少袋の詰め方が汚くても、配膳の仕方が雑でも、真面目に仕事している様子が窺えるなら、いたずらに強く当たったりしませんし、むしろカスハラ扱いされると思います。それは顔の見えない運営に対しても同じです。運営も人なんです。

もちろん運営側の努力も必要かと思います。昔から同じ方法論を取り続け、「今どき」なユーザーコミュニケーションを怠っている面はあると思います。(この点、某FFXIVプロデューサーが神なんですよね、結局)

運営側とユーザー側の双方が歩み寄って、つらいことを減らして、楽しいことをもっと増やせるといいのにな、と思います。

ちなみに、「顔も見えない」について「顔くらい出せよ」と思われるかもですが、版元があるタイトルだと開発プロデューサーが表に顔を出すことが不可能だったりもして、これもまた面倒な問題なんです。

開発元(大抵聞いたこともないような会社)と販売元(大抵とても有名な会社)の区別くらいはつけていただけると、我々としてはとても助かります。ゲームは開発が責任を負うが、IPとしてのグッズ展開は販売元が行うなどの複雑な関係があります。グッズは基本開発元が出したくても出せないっす。

販売元に不満をぶつけている様子を、表立って対応できない開発元が心苦しく見ているなんて状況もしばしばあり…。ご理解いただけると。

技術的な話

技術ブログなので技術の話をすると、10年も運用したコードは技術的負債が溜まりに溜まって到底返せないものになっています。施策のリリースが最優先なのでテストはないし、技術スタックは古いし、消していいコードと触れてはいけないコードの区別がまったくつきません。リリース当初からずっと携わっているメンバーがいればある程度マシですが、そうでなければお手上げです。

途中から運営に参加すると、ユーザーの方が歴が長いのも大変なところです。自分の改修が自分の知らない仕様で爆発するのにビクビクしながら仕事する日々です。もちろんテストはありません。

一応擁護するなら、ゲームはそもそもそのくらい複雑な代物であるとは言えるかもしれませんが…。

しかしながら、運営が続いているということはお金を確かに生み出しているということなので、誰も使わないサービスをいじるよりは面白みがあります。少なくとも私はそう感じています。

そんな日々の中で得た教訓を少しだけ書いておきます。

プランナーとのやりとりが重要

プランナーが持ってくる仕様は、いかにそれっぽく書いていても穴だらけバグだらけです。それらを指摘し、穴を単に塞ぐだけでなく、冗長な仕様を削ったりまとめたり、少ない機能でよりプランナーの表現の幅を広げてやったりすることが、ゲームのプログラマーに最も求められる能力です。

職場によってはプランナーに意見する立場になく、ただプランナーの穴だらけの仕様を適用し、ツギハギだらけの if 文まみれになってしまうかもしれません。そうなったらご愁傷様です…。

なるべくプランナーと対等に、場合によってはプランナーの仕事を食っていけるほどに綿密なやりとりを出来るのが重要です。

さらにやりとりが上達すると、プランナーの持ってきた仕様から「書いてないけどどうせ後でこういうことやりたがるよな?」と未来予知して、しれっと実装しておくと、「そんなこともあろうかと」が出来てかっこいいです。私も何回かやりました。

考古学をサボらない

一見してクソコードでも、仕様を満たすためには実は必要な複雑性だった、というケースは少なくありません。

むしろ、一見してクソコードだからと、自分勝手に仕様を建て増しする方が悪であると言えます。クソコードを笑うものがクソコードを書く状態。

あなたが後年の人に笑われたくないのなら、クソコードに真摯に向き合って、その意図を紐解き、そして出来ることなら解読した内容をドキュメントにまとめ(どうせドキュメントはまだ誰も作っていないでしょうから)、後世の人に貶されるのではなく感謝される仕事を目指したいですね。

ソシャゲ運営を8年やって感じた、良いところと悪いところ

はい、ようやく本題に入ります。ソシャゲ運営で感じた良いところと悪いところは何か。

運営の最も良いところはズバリ「失敗できること」ですね。ピンと来ない方もいるかもですが、「運営」の反対…つまり「新規開発」においては、ユーザーの反応が一切得られない状態で何年も開発を続けなければなりません。しかも、何年も費やしてやっとリリースできたところで、それが売れるかは未知数。失敗は許されません。

それとは対照的に、もう何年も安定して運営しているタイトルというのは、先程も述べた通り、ずっと遊んでいる人が大半で、ちょっとやそっとのことじゃユーザー数が増減したりしません。(増えもしないのがポイント)

失敗しても大きな怪我を負うことは少なく、いくらでも挽回できます。

ゲームづくりはとても不確実な作業です。面白いと思って世に出したものが当たる確率は3%もありません(適当)。

よって大事なのは一回に魂を込めることではなく、何度も失敗を重ね、何度も遊んでくれる人の意見に耳を傾けることです。

ユーザーの反応を見るのはとても楽しいです。私自身めっっちゃエゴサします。私のタイトルはどれも Twitter やってる人は少ないので、感想を見つけると砂漠のオアシスにたどり着いた気分になります。めっっちゃ嬉しいです。文句をつけられることもありますが、そういったものも全部真に受けるまではしなくともそこそこ聴いています。

しかも、作るものにもよりますが、数年かけて仕込むのは稀で、数ヶ月程度で仕込んでリリースするのが当たり前です。このサイクルの速さによって、素早く次の改善に活かすことができるのが、運営の楽しさの一つです。

ただ最近はゲームのリッチ化にともなって、どんな施策であれ仕込みに半年はかかるというタイトルも少なくなく、ユーザーからすると「このくらいすぐに直せよ」と思うことが中々直らないことがあるかもしれません。私は古いタイトルの運営なので、大変そうだなと思って眺めていますが。

素早いフィードバックがあるというのは教育にもたいへんよろしく、私自身、完全未経験で入社し、その後様々な施策とその反応を見て学ぶことは多かったです。大変貴重な経験をさせていただいたと感じています。

他に細かく良いところを挙げるとするならば、職場で大真面目な顔で「このキャラにしては技の火力が低いな…」とか「このイラストすごくxxxだね!!」みたいな、おおよそ不真面目としか思えないワードが飛び交うのも楽しいところです。

一方悪いところを挙げるとするならば、ソシャゲ業界自体への不安があげられるでしょう。今運営しているタイトルは非常に安定していますが、それも永久に続くわけではありません。いつかは終わりがやってきて、新天地を目指さなければなりません。

そうなった頃にはもう、「ソシャゲ業界」は残っていないかもしれません。終わる運命だったと言ってしまえばそれまでですが、すべてをただ消失させるのはあまりにももったいないです。

私自身ガチャは大嫌いですが、しかしソシャゲ業界はコンシューマーとは別のユーザー層を開拓し、また作る側にも様々な職を与えました。イラストレーターだけでなく、3DモデラーFlash クリエイター(実は弊社のゲームは Flash がJS上でご存命です)、UI デザイナー、シナリオライター、などなど、などなど…。

しかもただ業界が行き詰まりになるだけでなく、AI とかいう黒船もやってきています。このカオスの時代にどうバトンタッチするか。これは中々答えの出ない問題です。

これからどうなっていくんでしょうね?

何にせよ私はゲームを作り続ける

大それたことを申しましたが、ぶっちゃけ私はソシャゲ業界にこだわりはなく、ただゲームを作り続けられればいいと思っているので、その場その場で最善を尽くすだけかと思います。そのときに今の運営の経験が活きればいいな、程度。業界がどうなろうと知ったこっちゃないです。

が、ソシャゲ業界全体の意識としては、「危機感」を持たなければ今後やっていけないだろうな、とは思います。しかも、開発費競争から降りて、不確実な世界に足を踏み出さねばなりません。その勇気をどれだけの企業が持てるか。

しかし終わりは新たな始まりでもあり、もしその勇気をもった企業が現れれば、誰も見たことのないさらに面白いゲームと文化が花開くかもしれません。

私は人間の可能性には期待しているので、楽しみにしつつ日々精進していきたいと思います。

以上です!